法学ことはじめ (3)
法学科目試験等での論述のしかた
序説
試験やレポート等において論述問題が出されることは,法学に限らずしばしばあることです。そこでは当然ながら,段落を改めるときは改行して段落の冒頭は1文字ぶん空けて書くなど外形的な点や,序論・本論・結論と論旨を展開していくという内容形式の点などで,一般的な論述(作文,小論文)に関する約束ごとが適用されますが,それ以外にも法学に特有な論述の仕方というものが少なからず存在します。ここでは,そのような法学の論述に特有のポイントに絞って説明していきます。
なお,説明文中の加点や減点のポイントについてのコメントは,あくまで私(関堂)が採点する際の個人的な基準であって他のあらゆる試験等について必ずしも適用されるものではない点,およびここに記述した方式に従って論述をしたとしても必ずしも万能ではない点を,念のため付言しておきます。
一行問題と事例問題
まず法学の論述問題に典型的な,“一行問題” と “事例問題” という二つのタイプについて説明しましょう。“一行問題” というのは,文字どおり問題文が簡潔でだいたい一行に収まってしまうものをいいます。例としては――
権利の濫用について論じなさい。
――というものがあげられます。見てわかるとおり,非常に抽象的な設問になっています。他方 “事例問題” とは,何らかの具体的事案に関連させて論述させるというもので,例えば――
A は自ら購入した土地の所有権移転登記手続きを友人の B に頼んだが,B はそれを奇貨として B 自身に当該土地の登記を移転してしまった。しばらくのちに A はそのことに気づいたが B を信頼していたこともあって特に何も講じずにいたところ,B は当該土地を C に譲渡してその旨の登記を経由してしまった。この場合において,A は C に対して当該土地の返還を請求できるかにつき,論じなさい。
――というものがあげられます。法学の論述試験では,ほぼすべての問題がこの二つのタイプに分類できるといえるでしょう。
論述の禁じ手
まず,“一行問題” および “事例問題” それぞれについて実際の論述方法を説明する前に,是非とも避けておきたい解答の仕方について述べておきましょう。これらの点はいわば,“論述の禁じ手” ともいいうるもので,問題のタイプに関わらず解答に際して注意しておきたい点です。
第一に,最も避けなければならないのは思いのままに書き綴る随筆のような答案になってしまうことです。例えば,「夫婦別氏について論じなさい」というような設問に対して――
夫婦別氏の考え方はわが国ではまだ浸透していないと思う。だから夫婦別氏には賛成できない。私は結婚したとしても同氏にしようと考えている。
――というような,法的問題とは無関係の意見を述べることに終始しているものは,法学的な観点からは(残酷ないい方ですが)まったくといっていいほど評価に値しません。意見を述べること自体は非難されるべきではありませんが,その前提として法的な問題点についてきちんと検討をしていないようではいけません。
第二に,これに関連して「思う」を頻繁に用いるのも避けるべきです。「思う」という表現は,書き手にとっては自分の意見をさりげなく主張するのに便利のように見えるかもしれませんが,読み手から見ると主観的で曖昧であるという印象を抱いてしまいます。自分の考えや意見を述べる必要がある場合は「~であろう」や「~と考えられる」など,できるだけ「思う」に代わる表現を用いましょう。同様に「私は」という一人称主格もなるべく用いないようにすべきです(ましてや「僕は」「オレは」「アタシは」など,口語表現を用いるのはもってのほかです)。もともと日本語では一人称主格はしばしば省略されるものですが,特に客観的な論旨の展開が求められる場面では使うべきではありません。どうしても一人称主格を用いなければならないのであれば,「筆者は」や「報告者は」などの三人称的表現で置き換えるのが無難であるといえます。
解答の仕方と構成要素
では具体的に,各問題についてどのように解答をすればいいのか,どういった要素を論述に盛り込めば点数が得られるのかについて説明していきます。
一行問題の解答
一行問題は,法学部(他の学部での法律科目におけるのを含む。)の定期試験問題等ではしばしば用いられる出題方式ですが,法学に馴染みのない人にとっては何をどう答えていいのやら困ってしまうでしょう(法学に馴染みのある法学部の学生あたりでも,勉強不足であったり,ヤマが外れるなどして準備が不十分であると,やはりお手上げということになります。)。
では,実際にどのようにして論旨を組み立てていけばいいのかといいますと,おおむね以下の点を以下の順序で論じていくのが一般的であるといえるでしょう。
- 論点に関する法令の条文を摘示する(法条がない場合はその旨述べる)。
- 意義・要件・効果を整理する。
- 論点に関する学説について言及する。
- 論点に関する判例について言及する。
まず,論点(問題文にある「○○について」の「○○」の部分)に関する法令の条文(法条)をきちんと摘示しなければなりません(上記 1)。例えば,上記にある「権利の濫用について」であれば,「民法1条3項は権利の濫用を禁じている」
とか 「権利の濫用は禁止されている(民1条3項)」
と述べなければならないということです。なお,特に理由がない限り法条をそのまま論述中において引用する必要がないという点は,法学ことはじめ (2) で述べたとおりで,逆に徒に条文をそのまま書き写しているのは(字数を稼ごうとしているとか本質的理解に乏しいとして)マイナス要因にすらなり得ます。
次に,2 の「意義・要件・効果」は法学の論述において最も重要な要素です。一般にはこの点にまったく言及しない答案も少なからず見受けられますが,特に“意義”,すなわち論点の語句の意味について何ら触れていないものはまず答案として成り立たないと考えてもらっていいでしょう。上記「権利の濫用について」の例でいえば,「『権利の濫用』とは,形式上は正当な権利の行使としての外形を備えるが,その権利の本来の使命を逸脱するために,実質的には権利の行使とは見られず違法とされる行為をいう」
などとして,意義を述べる必要があるのです。またこのとき,抽象的なまとめだけでなく具体例も適宜提示することによって,より効果的な説明ができるでしょう。
そして論点に関する学説・判例(上記 3 および 4)について触れなければなりません。そもそも試験問題とされるような論点にあっては,その解釈や運用に関して通常は何らかの学説上の争いがあったり判例の変遷があったりするものですから,この点もまず欠かすことのできない要素だと考えてもらって差し支えないでしょう。判例(裁判例)を提示する際に一定の略号を用いるべき点は,やはり 法学ことはじめ (2) で触れたところを参照してください。なお学説に関しては,できれば通説や多数説のみで片づけずに少数説にも触れておくといいでしょう。
事例問題の解答
事例問題では,形のうえでは「~できるかどうか」などと直接的に答えを求めていると見えるものが多く,得てしてその形式的結論部分についてのみ,上記の例では「(土地の返還請求が)できる」か「できない」かという点のみを,答えようとするケースがしばしば見受けられます。いうまでもなく,その部分のみでは解答として不十分であるといわざるを得ませんし,以下に説明するように,場合分けによってはその結論自体が左右される可能性もある(例でいえば「できる」場合もあるし「できない」場合もある)ことから,単に一方のみの結論を答えた場合は中間点すら与えられないということにもなりかねません。
まず事例問題でも法律上の論点(問題点)が含まれるものですから,それを明示することが肝要です。どこに書いておいてもいいのですが,明示するという意味でも冒頭に記すほうが効果的であるといえるでしょう。
上記の例では,「本事例は,通謀虚偽表示に関する民法94条2項の類推適用の問題である。」などと冒頭に書いておくと,その後の論旨や結論部分に多少難があってもある程度の中間点は望めます。
ここまでできれば,あとは一行問題におけるのと同様に論旨を展開すればいいのです。すなわち,上記の例であれば,「民法94条2項の類推適用について論じなさい」という一行問題に答えるのと同じことになります。
最終的には結論を出すべきですが,多くの場合ここで“場合分け”という作業が必要になります。そしてこの“場合分け“によっては,最終的な答えが「できる」にも「できない」にもなる,要するに答えが二つになる可能性がある点に留意しなければならないでしょう。
事例問題においては,法的問題に関する各要素について一定の事実がそもそも与えられています。上記の例でいうと,「問題となる土地を B が自分の土地として登記した」という点や「B が当該土地をさらに C に譲渡した」という点などは,すでに設問において与えられている事実です。このように事実がすでに与えられている要素については,それと異なる検討をする必要はありませんし,またすべきではありません(そのような要らぬ検討をした場合には “余事記載” として減点される場合もあるのです。)。
他方,設問文において一定の事実が意図的に与えられていない場合があります ――というよりもそれが通常で,むしろその部分が問われているのです。上記の例では,「C は,当該土地の登記を B が有するに至った経緯(事情)を知らなかったのか(=善意であったか),それとも知っていたのか(=悪意であったか)」という点が,まさにそれです。そしてそのポイントが結論を左右するのであれば,そのポイントによって “場合分け” をして両方それぞれに言及する必要があるのです。
なお,“場合分け” が必要といってもなんでもかんでもすればいいというわけではありません。上記の例は民法94条2項の類推適用が問題になる事例ですから,同法条の構成要件に係る要素については確かに “場合分け” が必要ですが,そこでさほど重要でない要素,例えば「C が未成年者であるか否か」というごときは,他の重要論点であれこそすれ上記問題においては特に検討を要しない点であるといえましょう。そうした点を考慮して要領よくまとめることも肝要なのです。
出題者に特有の対策
上記の一般的事項に加えて,個別具体的事項,すなわち大学等における試験・レポート等での解答に際し,出題者(担当教員)が具体的に求めている内容というものもあり得ます。もとより研究者たる教員には,同じ分野であってもそれぞれにより得意としていたり好みであったりするテーマが存する場合があるからです。
例えば民法(債権法)ないし民事訴訟法の論点である “不法行為と債務不履行の請求権競合” という問題に関して,その具体的な事例として次のようなものが掲げられます。
- 営業中のタクシーに乗車した際に運転手の過失でケガを負った(運送契約違反と不法行為)
- 医師の治療ミスによって後遺症が残った(診療契約違反と不法行為)
これらはどちらを提示しても誤りということはありませんが,担当教員によっては自身が研究してたり得意としていたりするテーマに近いほう(上記の例でいえば,民法の先生で「医療過誤」を得意としていれば後者)が解答としてより好まれる傾向はあるといえるでしょう。なぜなら,その先生が実際に講義の中でその例を用いて説明している可能性が少なくないからです。もしかしたらその先生は,解答者たる学生がどちらの例を提示するかによって,普段から真面目に講義に出席して先生の話をよく聴いていた学生および指定教科書(多くはその先生の著書であったりします)をきちんと読んでいる学生と,そうではなく一般的な勉強をしている学生(これはこれで立派だとは思いますが)とを,見極めようとしているかもしれません。
教科書の丸写しと型破りな答案
丸写しは覚悟して
六法(法令集)以外にも指定の教科書・参考書,自筆ノート等の持込み・参照を認める試験や,あるいは自宅でゆっくり教科書等を参考にして取り組むことができるレポートなどでは,勢い教科書(参考書)を丸写しした答案というのが多くなってしまう傾向にあります。
学生諸君からしてみれば,教科書(特に指定教科書)に書いてあることを写せば間違いなく点数が取れるものという考えがあってのことなのでしょうが,実際には,そのような丸写しの答案が高い評価を得ることはまずありません。けだし,普段学生諸君が使わないような難しい語句や表現の用いられた教科書等の原文に近ければ近いほど,すなわち丸写しになればなるほど,それを書いた者がその内容を理解しているとはとうてい考えられないのです。また逆に,教科書等の中の冗長な記述を端的に表そうとして省くべきでない部分を省いたりしてしまっているものについても,(むしろ書くべきことを書いていないという点で丸写しよりも)内容の理解が浅いと断ぜざるを得ません。
「指定教科書であればバレるだろうけど,その専門分野の概説書や論文は山ほどあるのだから,その中のたった一つを写したところで先生にはわからないだろう」などという浅はかな考えを持っている学生もいるかもしれませんが,私のような若輩者ならともかく(私だって憚りながら研究を業としているわけですから写したものかどうかくらいはほぼわかりますし),ベテランの研究者にはまず通用しません。写すのであれば,覚悟を決めてやりましょう(もっとも,教員によっては自分の著作に係る教科書等のみについてはその丸写しを許容する場合もあるかもしれませんので,事前に情報収集すべし。)。
結局のところ,やはり自分の ‘頭’ で理解した内容を自分の ‘言葉’ で表現するのが一番だといえます。そのためには,やはり授業でノートを取って要点を整理しておくことが肝要であるといえます(ついでにいうと,“板書を書き写すこと” と “ノートを取ること” は必ずしもイコールではありません。板書のしかたは教員によって千差万別ですし(私は比較的板書をするほうですが),口頭のみでの説明が重要でないとも限らないのです。)。
いずれにしても,持込み・参照が認められているからといってナメてかかって “ぶっつけ本番” で試験を受けるというのは避けたほうがいいでしょう ――せめて友人からノートを借りて予習くらいしておくことをお勧めします。
基礎があってこその型破り
以上のように歓迎されない丸写し答案に対して,既存の教科書等にはないラディカルな内容・表現で書かれた,いわゆる “型破りな答案” というのはどうでしょうか。
あくまで解答者自身の考えを解答者自身の表現で書いたものですから,読まされる側としては丸写しの答案よりは少なくとも面白く読めるといえるでしょう。その意味においては型破りな答案はむしろ大歓迎で,中には出題者であるこちらが思わずハッとさせられるようないい答案にお目にかかれる可能性もないわけではないでしょう。
しかし,型破りといっても好き勝手に,あるいはダラダラといいたいことを書くのでは,結局 “随筆のように”(前述)になってしまい,適切な答案とはいえなくなってしまいます。書いた本人は独創的なことが書けたということで気分がいいかもしれませんが,随筆的なうえにいいたい放題の答案となれば読まされる側にとってはたまったものではなく,単なる随筆的答案よりも始末が悪いといわざるを得ません。
つまるところ,基本的な部分がしっかりできていてこそ型破りが活きてきます。基本的事項を理解したうえでの論証に裏付けられたラディカルな意見は,出題者をして唸らせることだってあるかもしれません。私は,テストやレポートといった問答は “知的な勝負” だと個人的に思っていますが,うまく書かれた型破りな答案で負かされたとすればかえってこちらが清々しい気分にすらなるのではないでしょうか。残念ながらこれまでそこまで感じさせてくれる答案にはお目にかかったことはありませんが,これから先期待せずにはいられません。