法のことば Part 2
互いに争っていた当事者が歩み寄ることを“和解”というのですが,実はこれには“裁判外の和解”(または“私法上の和解”) と,“裁判上の和解”とがあります。
民法 〔和解の意義〕第695条 和解ハ当事者カ互ニ譲歩ヲ為シテ其間ニ存スル争ヲ止ムルコトヲ約スルニ因リテ其効力ヲ生ス
民事訴訟法 (和解の試み)第89条 裁判所は、訴訟がいかなる程度にあるかを問わず、和解を試み、又は受命裁判官若しくは受託裁判官に和解を試みさせることができる。
民事訴訟法 (和解調書等の効力)第267条 和解又は請求の放棄若しくは認諾を調書に記載したときは、その記載は、確定判決と同一の効力を有する。
最初の民法のものは“裁判外の和解”に関する条文で,ここで“和解”は民法上の典型契約の一種として規定されています ――ゆえにこれを“和解契約”と称して区別する場合もあります。一般に“示談”と呼ばれるものがこれにあたるわけです。これは当事者の合意に基づく契約ですから,売買などの他の契約と同様,当事者は同時履行の抗弁権を有し,また当事者によって契約が解除されることや担保責任が起こる場合もあり得ます(民559条)。
一方,後二者の“裁判上の和解”は,「当事者が相互にその主張を譲歩して争いを解決する」という点では“裁判外の和解”と同じですが,条文にもあるように,これが調書に記載されることによって確定判決と同一の効力を有することとなります。すなわち,“裁判上の和解”が成立することによって訴訟は当然に終了し,その和解調書は執行力(民執22条7号),既判力(民訴114,115条)を有するのです。
なお,“裁判上の和解”には“起訴前の和解” ――これは“裁判外の(私法上の)和解”とは異なります―― も含まれますが,こちらは条文を参照するにとどめておきましょう。
民事訴訟法 (訴え提起前の和解)第275条 1) 民事上の争いについては、当事者は、請求の趣旨及び原因並びに争いの実情を表示して、相手方の普通裁判籍の所在地を管轄する簡易裁判所に和解の申立てをすることができる。
2) 前項の和解が調わない場合において、和解の期日に出頭した当事者双方の申立てがあるときは、裁判所は、直ちに訴訟の弁論を命ずる。この場合においては、和解の申立てをした者は、その申立てをした時に、訴えを提起したものとみなし、和解の費用は、訴訟費用の一部とする。
3) 申立人又は相手方が第一項の和解の期日に出頭しないときは、裁判所は、和解が調わないものとみなすことができる。
4) 第一項の和解については、第二百六十四条〔和解条項案の書面による受諾〕及び第二百六十五条〔裁判所が認める和解条項〕の規定は、適用しない。
ところで,同じ民事上の訴訟でも,離婚(や養子縁組における離縁)訴訟手続においては“和解”と似て非なる“和諧(わかい)”(Aussöhnung) というのがありまして――
人事訴訟手続法 〔離婚訴訟の中止〕第13条 和諧ノ調フヘキ見込アルトキハ裁判所ハ職権ヲ以テ一回ニ限リ一年ヲ超エサル期間離婚ノ訴ニ関スル手続ヲ中止スルコトヲ得
――というように,こちらは,「離婚(や離縁:26条による13条の準用)の訴えの当事者が,婚姻(縁組)を維持するためまたは円滑に協議離婚(離縁)をするために仲直りをすること」をいいます ――ちなみに広辞苑には,“和諧”は「やわらぎ調和すること。むつびあうこと。諧調。」とあります。
“和諧”において特徴的なのは,条文にもあるように「(当事者に和諧の成立する見込みがあるときに)裁判所がその職権をもって,1回に限り,1年を超えない期間」離婚の訴えの手続を中止することができるという点です。つまり,この“和諧”によっては離婚訴訟が当然に終了するのではなく,“和諧”に基づいて当事者が“訴えの取下げ”をすることによって初めて訴訟が終了するのです。
“反致(はんち)”[英] remission, [独] Rückverweisung, [仏] renvoi …数ある法律用語の中でも最も一般に馴染みのないもののひとつでしょう ――なにせ広辞苑の見出し語にもないんですから。
法例 〔反致〕第32条 当事者ノ本国法ニ依ルヘキ場合ニ於テ其国ノ法律ニ従ヒ日本ノ法律ニ依ルヘキトキハ日本ノ法律ニ依ル但第十四条〔婚姻の効力〕(第十五条〔夫婦財産制〕第一項及ビ第十六条〔離婚〕ニ於テ準用スル場合ヲ含ム)又ハ第二十一条〔親子間の法律関係〕ノ規定ニ依リ当事者ノ本国法ニ依ルベキ場合ハ此限ニ在ラズ
“反致”というのは,国際私法上の用語です ――国際私法とは,渉外的私法関係について法の抵触を解決し,これに適用すべき私法(“準拠法”といいます)を指定する法則で,わが国においては前掲の法例3条以下の規定のほか 手形法88条以下,小切手法76条以下,その他「扶養義務の準拠法に関する法律」,「遺言の方式の準拠法に関する法律」といった特別法などで構成されています。では,その国際私法上“反致”とはどういうことをいうのでしょうか。
“反致”とは,自国国際私法の指定した準拠法所属国の国際私法が自国の法または第三国の法を指定している場合に,それに従って自国法または第三国法を準拠法とすることをいいます。たとえば,ある法律問題について法廷地である X国 の国際私法によれば Y国 の法律を適用すべき場合において,Y国 の国際私法によるとその問題については X国 の法律を適用すべしとされている際に,法廷地国 X国 にて Y国法ではなく X国法を適用する,というのが“反致”なのです。
最近の判例では,中国人である被相続人が所有していた在日不動産の相続について,わが国の国際私法(法例:ただし平成元年改正前)によれば被相続人の本国法である中華人民共和国継承法(彼国の相続法)が適用されるべきところ,同法の規定によって反致される結果,目的不動産所在地の法であるわが国の民法が適用されることとなった事例があります(最判平6・3・8判時1493号71頁)。
このような“反致”ですが,これに対してはは主に批判的な立場から嘲笑的に“法律の国際的テニス”などと呼ばれます。この言葉が言い得て妙だと感じられるのは皮肉でしょうか…。
“(広義の)反致”には,上の例のように準拠法の指定が自国に帰ってくる(X→Y→X)という“狭義の反致”のほか,第三国法が指定される(X→Y→Z,また X→Y→Z→A も)“転致”,さらには第三国法を経由して自国法に帰ってくる(X→Y→Z→X)“間接反致”も含まれます。わが国の国際私法では,本国法を適用すべき場合について一般に狭義の反致を認め(前掲条文参照),手形および小切手に関する行為能力については狭義の反致のみならず転致までも認めています。
手形法 〔手形行為能力と準拠法〕第88条 1)為替手形及約束手形ニ依リ義務ヲ負フ者ノ能力ハ其ノ本国法ニ依リ之ヲ定ム其ノ国ノ法律ガ他国ノ法律ニ依ルコトヲ定ムルトキハ其ノ他国ノ法律ヲ適用ス
2)前項ニ掲グル法律ニ依リ能力ヲ有セザル者ト雖モ他ノ国ノ領域ニ於テ署名ヲ為シ其ノ国ノ法律ニ依レバ能力ヲ有スベキトキハ責任ヲ負フ
小切手法 〔小切手行為能力と準拠法〕第76条 1)小切手ニ依リ義務ヲ負フ者ノ能力ハ其ノ本国法ニ依リ之ヲ定ム其ノ国ノ法律ガ他国ノ法律ニ依ルコトヲ定ムルトキハ其ノ他国ノ法律ヲ適用ス
2)前項ニ掲グル法律ニ依リ能力ヲ有セザル者ト雖モ他ノ国ノ領域ニ於テ署名ヲ為シ其ノ国ノ法律ニ依レバ能力ヲ有スベキトキハ責任ヲ負フ
なお,法例の引用条文中「ヘキ」と「ベキ」のように清音表記と濁音表記が混在しているのは誤りではありません。明治31(1898)年の法例制定時には,法律の条文は濁音もすべて清音表記されていたのですが,のちにカタカナ条文においても濁音が取り入れられたためです ――なお,上記の32条改正を含む法例の改正は平成元(1989)年です。
以前にも引用したことがある条文なのですが --
民法 〔公序良俗〕第90条 公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反スル事項ヲ目的トスル法律行為ハ無効トス
にいわゆる「公ノ秩序(又ハ)善良ノ風俗」というのが,一般に“公序良俗(こうじょりょうぞく)”と略していわれるものです。ドイツ語で“öffentliche Ordnung und gute Sitten”,フランス語では“ordre public et bonnes mœurs”,そして英語でいうところの“public policy”がこれにあたります。
“秩序”というと何やら堅苦しくて“風俗”というとどことなく怪しげな感じがいたしますが,ここに“公の秩序(公序)”とは国家社会の一般的な利益をいい,“善良の風俗(良俗)”とは社会の一般的な道徳観念をいいます。前者は公の,後者は私の規範ということもできますが,両者は大部分において重複し,区別することは困難です(また区別する実益もとりわけありません)。したがって“公序”と“良俗”は,これらを合わせて「現代社会の一般的秩序を維持するために要請される倫理的規範」の意味に用いられています。
では“公序良俗”とはいったいなんなのか,実際に判例において公序良俗違反(=無効)とされた行為を見ていきましょう。――なお,ここにあげる例はあくまでも一類型です。事実関係がこれらに似ているからといって必ずしも公序良俗違反になるものではない点に注意してください。
などなど,個別に規定がないかあるいはその適用がないとされるような場合でも,広く一般的規範に違反する行為が無効と扱われるのです(ゆえに民法90条は 一般条項 とも称されます)。
“信義則(しんぎそく)”とは“信義誠実の原則”の略で――
民法 〔私権の基本原則〕第1条 1)私権ハ公共ノ福祉ニ遵フ
2)権利ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義ニ従ヒ誠実ニ之ヲ為スコトヲ要ス
3)〔略〕
がこの原則を表した条文です。
“信義誠実の原則(Treu und Glauben)”とは,権利の行使および義務の履行をするのに際して社会生活を営む以上要求される規範,もっと具体的にいえば,相手方から一般的に期待される信頼を裏切らないよう誠実に行動すべきであるというルールをいいます。もともとは債権・債務の関係を支配する原則として考えられていましたが,わが民法においては,債権・債務の関係にとどまらず,広く社会的生活を営む者どうしの間にも適用される規範として規定されています。
信義則の具体的な内容は個別具体的ケースに応じて定めるほかありませんが,この信義則は法律行為の解釈基準として用いられます。すなわち,過去にした自分の行為と矛盾する行為をなす者を保護しないというのは,まさに信義則に基づくものですし,また,既存の法律の規定ではその具体的事情を規律するのに適切な規範(ルール)を導き出せない場合に,その規範の根拠として信義則が用いられることしばしばです。
しかしながら,世の中がこう世知辛くなってきますと,社会生活において相手(他人様)を信頼するという信義則の根底にあるものすらも怪しくなってまいりますね…。
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“慣行”と“慣習”,どちらも「ならわし」という言葉で表される点で似ていますが…
著作権法 (引用)第32条 1) 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
2) 〔略〕
“慣行(practice; Übung)”とは,特定の人々または機関が事実上反復して行ってきている定型的な行動型をいい,“慣習”よりも広い概念です。一方“慣習(custom; Gewohnheit; coutume)”とは,一定の範囲の人々の間で社会生活上多少とも共通に反復して行われ,それゆえそれらの人々の間に拘束力を感じさせるようになった定型的な行動型をいいます。たとえば,「ゼミの終了後は必ず呑みに行く」という“慣行”がある場合に,このことがそのゼミの構成員において「ゼミの終了後は呑みに行かなくてはならない」というように拘束力を感じられるようになると,これが“慣習”となるわけです。
“慣習”は“法”と同様一種の社会規範であり,このうち特に実定法上の拘束力を取得したものは“慣習法(customary law; Gewohnheitsrecht; droit coutumier)”と呼ばれます。“慣習法”は不文法の典型のひとつで,わが国においては――
法例 〔慣習法〕第2条 公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反セサル慣習ハ法令ノ規定ニ依リテ認メタルモノ及ヒ法令ニ規定ナキ事項ニ関スルモノニ限リ法律ト同一ノ効力ヲ有ス
というように,任意法規(当事者がこれと異なる意思表示をしないときにだけ適用される法規)以下の効力しか与えられていません。一方,拘束力は感じせしめるが法としての意識を伴わない“慣行”は,(“慣習法”とは区別されて)“事実たる慣習”と呼ばれ――
民法 〔事実たる慣習〕第92条 法令中ノ公ノ秩序ニ関セサル規定ニ異ナリタル慣習アル場合ニ於テ法律行為ノ当事者カ之ニ依ル意思ヲ有セルモノト認ムヘキトキハ其慣習二従フ
こちらは,「当事者が特に反対の意思を表示しない限り慣習による意思があったものと見るべきだ」と解されているため,任意法規に優先し,“慣習法”よりも強い効力が認められているとされており,この点は学説も争いのあるところです。
広辞苑によれば,それぞれ,“違法”とは「法律または命令にそむくこと。」,“不法”とは「法にそむくこと。人の道にたがうこと。」とあります。
法律用語としての“違法”とは,“適法”の反対概念で,具体的な法規に対する違反(形式的違法)のみならず,法の理念,すなわち公序良俗に対する違反(実質的違法)をも意味します。広辞苑での意味よりもいくぶん広い感じがしますね。ある行為が法律上許されない違法なものであること(=違法性)は,民法上は不法行為(後述)や債務不履行の要件として捉えられており,また刑法上も犯罪成立要件のひとつとされています。一方,“不法”は“合法”の反対概念で,前述の “違法”と同じ意味で用いられることが多いのですが,主として実質的違法に着目した言葉であり(このことは前述の広辞苑における意味からも窺えますね),民法においては“不法行為”として特別の意味がもたらされています。つまり,“不法”は“違法”よりもやや狭い概念であるということができるわけですね。
民法 〔不法行為の要件と効果〕第709条 故意又ハ過失ニ囚リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ囚リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス
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