2002年12月7日 著作権法学会 個別報告
当日個別報告をお聴きになった皆様へ
当日は空模様も芳しくない中,また午前中の早い時間にも拘わらず,大変多くの皆様にご静聴いただきまことにありがとうございました。しかしながら当方の不手際により,せっかくお集まりいただいた皆様から十分にご意見等を伺う時間を設けられなかったことを申し訳なく存じます。この場を借りてお詫び申しあげます。
なお,個別報告に関してご意見・ご感想等ございましたらどうぞお気軽にお寄せください。今後の研究の参考にさせていただきたく存じます。
これまでのわが国におけるパブリシティ権に関する議論は,主に次の二つを軸に展開されている。
しかしここでの議論は,主に,①著名人の死後の権利の存否ないし権利存続期間,②相続性・譲渡性,③差止請求権の有無とその根拠,さらには④物についてのパブリシティが認められるかなどの結果的要素から遡って理論づけられることが多く,権利の性質・構造等が根本から説明される機会が少ないといわざるを得ない。また,上記各問題点についていずれの立場を採るかによって結論が大きく分かれ,いわば両者が二分化している感がある。
そこで本報告では,改めて「パブリシティ権」ないし「パブリシティの権利」の意義,要件,効果を理論的に再構成することで,上記の問題点を包括的かつ体系的に処理できないかどうか試みる。
そもそも“権利”とは,「一方が他方に対し一定の作為または不作為を求めることが規範によって正当視されるとき,そのことによって一方が得る利益」であると説明される(新法律学辞典・第三版)。そうだとすれば,パブリシティ権において権利主体はどんな作為・不作為を求め得てどのような利益を得るであろうか。発想を転換して主体・客体をひとまず措き(後述),まずこの権利の効果・内容から捉えて――
――と位置づける。
しばしばパブリシティ権と対(コインの表裏)として説明される“プライバシーの権利”は,今日においては「自己に関する情報を自らコントロールする権利」としてより積極的な意義を与えられている。この点からも,パブリシティ権の内容を「情報のコントロール」と捉えることは適う。
ただし,私見にて後述するように,パブリシティ権の目的となる情報(以下「パブリシティ情報」という。)が特定個人の自己情報に限られずその他の情報をも含むとするならば,両者は表裏ピタリと重なっているわけではないこととなる(右図参照)。
あくまで本質は 情報のコントロール であって顧客吸引力そのもののコントロールではない。けだし,顧客吸引力は一定の情報に乗って(化体して)その力を発揮するのであって,顧客吸引力が化体した情報を用いることなしにその顧客吸引力のみをコントロールすることはできない。
関連する問題: どの程度の情報まで含まれるか,著名人死後の情報,物のパブリシティ問題
拙稿「パブリシティ権に関する一考察」(1)および(2) (東京情報大学研究論集5巻2号59頁,同6巻1号39頁)を参照
不法行為における違法性論の「被侵害利益(の種類)」と「侵害行為の態様」との相関関係になぞらえて,「パブリシティ情報」と「その利用態様」(または,「パブリシティ権の客体となる一定の情報をコントロールすることを内容とする利益」と「当該利益に対する侵害行為の態様」)との相関関係により判断。
関連する問題: 著名人死後の情報,譲渡性・相続性,物のパブリシティ問題
パブリシティ情報が特定個人の自己情報に限られないとすれば,そのような(その他の)情報のコントロールをなしうる権限を有する者は誰か? ――当該情報をコントロールすることが社会通念上正当視される者?
問題は,そのような情報(パブリシティ情報)をコントロールすること(によって当該情報に備わった顧客吸引力をコントロールすること)を誰ができるのか,である。
民法上,一般不法行為(民709条)の救済手段は金銭賠償を原則とし(722条1項・417条の準用),名誉侵害(710条)について例外的に名誉回復措置(723条)が認めてられている。判例は,排他的権利としての人格権の侵害に対しては差し止めを認める(最大判昭61・6・11民集40巻4号872頁〔北方ジャーナル事件〕参照)が,排他性のない権利・利益には差し止めを認めない。
近時の不法行為法の学説においては,とりわけ公害や環境利益に対する侵害からの救済に関して「救済の実効を図るには差し止めを認めるべき」という見解が有力。
※英米法では,不法行為による被害の場合に,それが金銭的補償では適切な救済を与えないときに差止請求を認めようとする理論がある。
高度情報化社会の今日にあって、情報に関する不法行為に対して被侵害利益(権利)の排他性如何のみによって救済手段を区別することが果たして妥当であるか。情報の利用ないし流通という侵害の態様にも着目して、実効性のある救済手段を検討すべきではなかろうか(もっとも、憲法上の表現の自由から情報の自由な流通もまた保障されるべきであり、情報流通の差し止めはこれとの衡平に留意してなされる必要があるだろう。)。
パブリシティ権も“情報をコントロールする権利”ならば,その実効を確保するために差止めという救済を認められるべきではないか。