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パブリシティ権に関する一考察 (1) ―その客体について―


企業(とりわけマス・メディア企業)はもちろん個人もまたインターネットを経由して自ら情報を発信する機会を持ちうる今日の高度情報化社会においては,しばしば著名人のパブリシティ権が問題となる。「著名人の氏名・肖像等が獲得した顧客吸引力をコントロールすることを内容とする財産的権利」として説明されるパブリシティ権の法理は,そもそも明文の法条を持たず裁判例を通じて形成されてきたのであるが,それゆえにいまだ確立されていない点も多く学説上も争いがある。

本稿は,特にパブリシティ権の客体は何かという点およびパブリシティ権の侵害の態様という点(表現の自由との関連も含めて)を中心に,ロック・アーティストの作品(CD,ヴィデオ)のジャケット写真の使用がパブリシティ権侵害となるかどうかが争われた実際の事例(キング・クリムゾン事件)を手掛かりにしつつ,検討するものである。


はじめに

コンピュータおよびネットワークに関する情報技術(IT)が爆発的に発達した今日,人の個人情報を保護する必要性はますます増してきているといえよう。けだし,今日の高度情報化社会にあっては,個人に関するさまざまな情報は容易に収集・蓄積・配列され,そのようにして構築されたデータベースは容易に複製・伝達できるのである。そうした状況の中,個人情報保護法案が国会に提出されるに至り(1),個人情報は具体的な保護法益としてクローズアップされつつある。個人情報保護法(2)は,人の個人情報を保護する法制の基本法として機能するもので,「個人情報の適正な取扱いに関し,基本原則及び政府による基本方針の作成その他の個人情報の保護に関する施策の基本となる事項を定め,国及び地方公共団体の責務等を明らかにするとともに,個人情報を取り扱う事業者の遵守すべき義務等を定めることにより,個人情報の有用性に配慮しつつ,個人の権利利益を保護すること」 を目的として(個人情報1条),いわば公法として個人情報を保護しようとするものである(3)

その一方で,個人の情報は私法上,とりわけ不法行為法上の保護法益としても重要性を有している。すなわち,ある個人が自らに関わる情報を他人によって違法に取得・利用され,そのため当該個人において損害が発生した場合,その情報の取得・利用は不法行為を構成する可能性がある。ここで個人の情報にかかる被侵害利益としてあげられるのがプライバシー権およびパブリシティ権であるが,これらはいずれも判例(下級審の裁判例を含む。)によって確立されたものであり,実定法上の規定は存在しない。ゆえに,誰が権利を有するのか(権利主体),どのような行為が侵害となるのか(侵害の態様・違法性),どれくらい損害が生じるのか(損害額)などについて,いまだ法理が確立されていないのが現状である(4)

元来,一般の事業よりもメディア事業(特にマスメディア事業)において個人情報が取り扱われる機会は多かったのであるが,それゆえに社会の情報化が進むにつれて,メディア事業に関わる企業にあっては個人情報を取り扱う際に上記のような点に留意する必要性が増し,勢い彼らは個人情報を取り扱うこと自体に神経質にならざるを得ない状況にあるといえよう。他方インターネットの発達に伴って,メディア事業に関わる企業のみならず一個人が情報を発信する機会も従前とは比べものにならないほど増加しており,その意味においていわば誰もが他人の個人情報を取り扱う可能性を有しているともいえる。ここでメディア(インターネットにおけるのを含む。)を通じて企業や個人が発信しようとする情報において,他人の個人情報が含まれているかどうか,そしてまたそれは当該他人のプライバシー権やパブリシティ権を侵害するかどうかは,重要な関心事になるものと考えられる。

本稿では,個人情報にかかる私法上の権利として特にパブリシティ権に焦点をあて,そのパブリシティ権の客体として個人情報がいかなる位置(重要性)を占めるか,またそうした個人情報にどのようなものが含まれるか,そしてメディアがこうした情報を利用する場合にどのような点に留意しなければならないか等について,実際の事例を手がかりにして考察せんとするものである。

1 パブリシティの権利

「パブリシティの権利」(right of publicity)に関しては,最近でこそ,その主体となるべき著名人やその所属団体等が積極的に啓蒙活動に取り組んでいる甲斐もあってか,一般世人においてもその意義や保護の必要性について耳にする機会が多くなってきたように思われるが,冒頭に述べたようにわが国においてこれを正面から規定する法条はいまだ存在しないし,諸外国にあってもそのほとんどがパブリシティ権に関する法条を持たない(5)

パブリシティ権に関する法理は,もともとアメリカで判例法上確立されたものである。その概念を明確にしたのが Haelan Laboratories, Inc. v. Topps Chewing Gum, Inc., 202 F.2d 866 [2nd Cir. 1953] で,同事件判決においてFrank判事は「自分の肖像写真のパブリシティ・バリュウについての独占的な権利」を「パブリシティの権利(right of publicity)」と称することができると述べた。

一方わが国においても,東京地判昭51・6・29判時817号23頁(マーク・レスター事件)において,「俳優等は,…人格的利益の保護が減縮される一方で,一般市井人がその氏名及び肖像について通常有していない利益を保持しているといい得る。すなわち,俳優等の氏名や肖像を商品等の宣伝に利用することにより,俳優等の社会的評価,名声,印象等が,商品等の宣伝,販売促進に望ましい効果を収め得る場合があるのであって,これを俳優等の側からみれば,俳優等は,自らかち得た名声の故に,自己の氏名や肖像を対価を得て第三者に専属的に利用させ得る利益を有しているのである。ここでは,氏名や肖像が,…人格的利益とは異質の,独立した経済的利益を有することになり(右利益は,当然に不法行為法によって保護されるべき利益である。),俳優等はその氏名や肖像の権限なき使用によって精神的苦痛を被らない場合でも,右経済的利益の侵害を理由として法的救済を受けられる場合が多いといわなければならない。」との判断がなされ,ここに「氏名および肖像に関する財産的利益」が不法行為法上の保護法益であると認識されたのである(もっとも,「パブリシティの権利」という言葉自体はまだここでは用いられていない。)。

その後,東京地決昭53・10・2判タ372号97頁(王貞治メダル事件)や東京地判昭55・11・10判時981号19頁(スティーヴ・マックイーン事件)などを経て,徐々にパブリシティ権に関する裁判所の判断が確立されていったのであるが,「パブリシティ権」という言葉が最初に用いられた裁判例は東京地判平1・9・27判時1326号137頁(光GENJI事件)である。この事件は,アイドル・グループのメンバーの氏名・肖像を無断で使用した商品を製造・販売していた業者になされた販売禁止等の仮処分命令の決定に対して,当該業者がその取消しを申立てたものであるが,裁判所は「パブリシティ権の帰属主体は,自己の氏名・肖像につき第三者に対し,対価を得て情報伝達手段に使用することを許諾する権利を有すると解される」と判示して,業者の申立てを却下したものである。

さらに,東京高判平3・9・26判時1400号3頁(おニャン子クラブ事件控訴審)においては,「芸能人の氏名・肖像がもつ…顧客吸引力は,当該芸能人の獲得した名声,社会的評価,知名度等から生ずる独立した経済的な利益ないし価値として把握することが可能であ〔り,〕…当該芸能人は,かかる顧客吸引力のもつ経済的な利益ないし価値を排他的に支配する財産的権利を有するものと認めるのが相当である」と判示され,これによって(人格権ないし人格的利益に基づくのではなく)財産的権利としてのパブリシティ権に基づく差止請求が認められるに至ったのである。

以上のような経緯を辿ってわが国においても不法行為法上の被侵害利益(権利)としてのパブリシティ権とその救済手段とが認められるようになったわけだが,やはり明文を欠くゆえか,例えば主体たる著名人の死後におけるパブリシティ権の存否およびその相続性・譲渡性,死後のパブリシティ権を認めた場合の存続期間,損害額の算定方法など,いまだ確立されていない点も多く学説上も争いがある(6)。とりわけパブリシティ権の本質ともいうべき「パブリシティ権の客体」についても,法理が確立していないといわざるを得ない。

2 キング・クリムゾン事件

パブリシティ権の客体としてどのような情報が含まれるか―この問題を検討するのに最適な具体的事案として,一般に「キング・クリムゾン事件」と称される裁判例がある。ここでは同事件の判決に沿って,パブリシティ権の客体にいかなる情報が含まれるか,すなわちジャケット写真がパブリシティ権の内容に含まれるかどうかという点を中心に整理してみよう。

イギリス人ミュージシャンX(原告・被控訴人)は,著名なプログレッシヴ・ロック・グループ“キング・クリムゾン(King Crimson)” のリーダーである。Y1(被告・控訴人)はわが国の放送事業者で,音楽に関する書籍等の出版活動も行っている会社であり,Y2(被告・控訴人)はY1の代表取締役である。Y1は,1995年10月20日ころ,題号を「キング・クリムゾン」とする書籍(以下「本件書籍」という。)を出版したが,本件書籍の表紙,背表紙および裏表紙には,キング・クリムゾンのアルバム・ジャケット・デザインが使われており,また,本件書籍の約80%を占める「ディスク・ガイド」および「ヴィデオ・ガイド」においてはキング・クリムゾンないしX関連のレコード等のジャケット写真が使用され,その他,章の扉部分等で11枚のミュージシャンの肖像写真が使われており,そのほぼ全部にXが写っている。Xは,Yらによる本件書籍の出版によりXのパブリシティ権が侵害されたとして,損害賠償ならびに本件書籍の販売・印刷の差止めおよびYらの占有する本件書籍の廃棄を求めた。

一審判決(東京地判平10・1・21判時1644号141頁)は,パブリシティ権の内容に関して次のように述べて,損害賠償請求の一部と本件書籍の販売の差止めおよび廃棄請求を認容した。

パブリシティ価値の本質は,著名人が有する顧客吸引力にあるから,…著名人が獲得した名声,社会的評価,知名度等から生ずる経済的な価値で,顧客吸引力があると認められる場合には,それをもパブリシティ権の内容に含まれると解すべきである。…著名人自らの氏名及び肖像が用いられているジャケット写真は,それ自体でパブリシティ権の内容に含まれていると解されるし,そうではないジャケット写真についても,その演奏者や作品の著名性と相まって,当該音楽家を直接的に印象付けるものとして,その氏名ないし肖像と同様の顧客吸引力を取得する場合があるし,著名な音楽家ないし作品のジャケット写真が,当該作品及び収録楽曲の題名,演奏者名などと共に商品に使用された場合は,その有する顧客吸引力ないしパブリシティ価値の使用が問題となる場合があると解されるので,ジャケット写真がパブリシティ権の内容に含まれるか否かは,個別的な事案に応じて判断する必要があるといわなければならない。

…本件書籍は全体として,「キング・クリムゾン」及びXを含む右グループに関連する音楽家の氏名,肖像及びこれらの者の音楽作品のジャケット写真の有する顧客吸引力を重要な構成部分として成り立って〔おり,また〕「キング・クリムゾン」のパブリシティ価値は,Xのそれと大部分において重なるものと認められ〔ることなど〕からすると,本件書籍においては「X」個人の氏名,肖像の有する顧客吸引力も利用したものと解することができる〔から,Yらの本件書籍出版〕行為は,Xのパブリシティ権を侵害するものとして民法上の不法行為を構成するものと解すべきである。

この地裁判決に対してYらが控訴したところ,控訴審(東京高判平11・2・24判例集未登載〔平10年(ネ)673号〕)は原判決を取消し,Xの請求を棄却した。その述べるところは以下のとおりである。

一般的にジャケット写真はレコード等と密接な関係にある創作物であり,単なるレコード等の附属物という域を超えてそれ自体が作成者の思想や感情を創作的に表現する著作物として音楽活動ないしレコード等に対する視聴者の印象を強固なものにすると同時に作品に対する記憶を呼び覚まさせるといった効果を発揮するものであ〔り,〕そのため,ジャケット写真は当該レコード等の視覚的な側面を担うものとして当該レコード等と一体的に受け止められるようになり,当該レコード等を視覚的に表示ないし想起させるものとして当該レコード等の宣伝や紹介にも利用されることになる。このようなジャケット写真の機能は当該音楽家本人の肖像写真がジャケット写真に使用された場合ですら否定することは困難であるから,ジャケット写真が音楽家自身を連想させるという効果は,それが当該レコード等を視覚的に表示ないし想起させる効果と対比して相当減弱されたものであるといわなければならない。

…本件書籍に多数掲載されたジャケット写真は,それぞれのレコード等を視覚的に表示するものとして掲載され,作品概要及び解説と相まって当該レコード等を読者に紹介し強く印象づける目的で使用されているのであるから,X本人や「キング・クリムゾン」の構成員の氏名や肖像写真が使用されていないものはもちろんのこと,これが使用されているもの…であっても,氏名や肖像のパブリシティ価値を利用することを目的とするものであるということはできない。〔また,章扉部分等に使用されている肖像写真についても〕その掲載枚数はわずかであり,全体としてみれば本件書籍にこれらの肖像写真が占める質的な割合は低いと認められ,本件書籍の発行の趣旨,目的,書籍の体裁及び頁数等に照らすと,これらの肖像写真はX及び「キング・クリムゾン」の紹介等の一環として掲載されたものであると考えることができるから,これをもってXの氏名や肖像のパブリシティ価値に着目しこれを利用することを目的とするものであるということはできない。

〔本件書籍の題号・文字〕は本件書籍で対象としている音楽家を表す記載であり,表紙〔等〕へのジャケット写真の使用も右音楽家に関する書籍であることを視覚面で印象づける趣旨で掲載したものであるとみることができるから,これらは「キング・クリムゾン」に関する書籍であることを購入者の視覚に訴え,これを印象づけるものであるということはできても,その氏名,肖像等のパブリシティ価値に着目しその利用を目的とする行為であるということはできない。

なお,本件はXから上告がなされたが,最高裁は平成12年11月9日これを棄却した(判例集未登載)(7)

3 個人情報はパブリシティ権の客体か

(1) パブリシティ権の内容

前述1で取り上げたこれまでのわが国における裁判例を要するに,パブリシティ権とは,「顧客吸引力を有する著名人の氏名・肖像等の利用につき,当該著名人がこれをコントロールする(氏名・肖像等を他人が利用することを許諾・禁止しうる)ことを内容とする排他的権利である」ということができよう。学説も,後述の「人的属性アプローチ」と「万物属性アプローチ」とのいずれを採用するかで若干異なる部分もあるが,おおむね上記と同様の意義をもってパブリシティ権を説明する(8)。しかし,具体的にどのような情報がパブリシティ価値を備えうるのか,より直截にいえば,いかなる情報がパブリシティ権の客体となるのかについてはこれまで必ずしも明らかにされていない。もっとも,この点について正面から論じられる機会は少ないようであり,裁判例・学説ともに多くの場合「(著名人の)氏名・肖像等」とア・プリオリにいわれる(9)

ところで,顧客吸引力(パブリシティ価値)を有する情報に対する排他的支配がどの範囲にまで及ぶのか,より具体的にいえば,パブリシティ価値を獲得してパブリシティ権の目的たりうる情報にいかなるものが含まれるのかについては,根本的な争いがある。すなわち,パブリシティ権の捉え方には「人的属性アプローチ」と「万物属性アプローチ」という二つが存在するが(10),ここで両者の考え方を整理してみよう。

(a) 人的属性アプローチ  パブリシティ権とその出自である人格権との関係を重要視し,氏名・肖像といった人的属性の財産価値(パブリシティ権)を人格価値(プライバシー権)との関係という側面から考察することによってパブリシティ権の基本構造を明らかにしようというアプローチである(11)。人的属性アプローチではパブリシティ権の客体となるのは人(自然人)の属性に関する情報に限られ,人以外の物に関する情報はパブリシティ権の客体たりえないこととなる。これに対しては,万物属性アプローチの側から,顧客吸引力を獲得した情報を利用するという点では何ら異ならないのに,なぜそれが人的属性に関するものであるか否かで区別されなければならないのかとの指摘がなされるところである。

(b) 万物属性アプローチ  パブリシティ価値の本質を純粋な経済価値として捉えたうえで,パブリシティ権の客体の対象範囲を人的属性に限定せずに,著名であるゆえに顧客吸引力を有する建物・動物・事業など非人的な特徴的属性をも包含する考え方である。現行法制になぞらえるとすれば,不正競業法の枠組みに比較的近いものであるといえよう(12)。万物属性アプローチによれば文字どおりあらゆる事象に関する情報がパブリシティ権の客体たりえることとなり,当然ながら「物のパブリシティ権」が問題となる可能性もある(13)。これに対しては,人的属性アプローチの側から,顧客吸引力を有するからといってあらゆる情報についてそれをコントロールしうる排他的権利を認めると,一定の要件を満たす知的財産(商標,著作物,商品等表示など)についてのみ特に排他的権利を認める現行の知的所有権法制を有名無実化してしまうおそれがあるとの指摘がなされている(14)

(2) パブリシティ権の客体としての個人識別情報

人的属性アプローチによれば,パブリシティ権の客体となる情報は「氏名・肖像等」であるということになる。通常の意味において,これらはいわば「個人に関する情報(個人情報)」ないし「個人識別情報」であるといえようが,そもそも「個人情報」「個人識別情報」とは法的にどのような意義を有するのであろうか。

わが国の制定法では,公法(行政法)として,行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律(昭和63年法律95号)が「個人情報」に関する定義規定を置いており,これによれば「個人情報」とは,「生存する個人に関する情報であって,当該情報に含まれる氏名,生年月日その他の記述又は個人別に付された番号,記号その他の符号により当該個人を識別できるもの(当該情報のみでは識別できないが,他の情報と容易に照合することができ,それにより当該個人を識別できるものを含む。)をいう。〔以下略〕」とされ(個人情報保護2条2号),情報公開法(平成11年法律42号)5条1号も「個人情報」についてほぼ同様に規定しているが,これらはいずれも「実質的に個人のプライバシーを侵害するおそれのある情報」に限られず,広く「個人を識別できる情報」を含むものとされている(15)

一方私法上のパブリシティ権の説明において「個人情報」ないし「個人識別情報」が特に定義づけられることはない(わずかに,キング・クリムゾン事件控訴審判決が「著名人の氏名,肖像等は…個人識別情報として…」と説示する程度である。)。公法の分野では上記のように法律上の定義があるが,これをそのまま私法の保護法益と同義に捉えてよいのかどうか,パブリシティ権の客体となる個人情報の意義と併せて検討していこう。

この点に関しては,「個人識別情報」と「パブリシティ権の客体となる情報」とがぴったり重なり合うのかどうか,逆にいえば「個人識別情報」ではないが「パブリシティ権の客体となる情報」が存在するかどうかという問題が考えられる。キング・クリムゾン事件控訴審判決は,上記のように,一般論において「氏名,肖像その他の顧客吸引力ある個人識別情報」がパブリシティ権の対象となる旨を述べているが,同事件で特に問題となったジャケット写真について,それが「(氏名・肖像以外の)個人識別情報」に含まれるかどうかについては必ずしも明確にしていない。ここで,同事件におけるジャケット写真は,個人識別情報ゆえパブリシティ権の客体となるのか,それともジャケット写真は個人識別情報ではないがパブリシティ権の客体となるのか(これを裏返して,ジャケット写真は個人識別情報ではないゆえパブリシティ権の客体とならないのか,それともジャケット写真は個人識別情報であるがパブリシティ権の客体とならないのか)という問題が浮かび上がってくる。

この問題については,パブリシティ権の先駆ともいうべきアメリカの判例が少しく参考になろう。プロ野球選手(メジャー・リーガー)の氏名と競技成績等のデータ(チーム,背番号,守備位置,打率,打点,防御率等)が問題となった Uhlaender v. Henricksen, 316 F.Supp.1277 [D.Minn.1970] は,「有名人は,多年に渡る鍛錬や競争の結果として,市場性を有する地位を取得したものと見るべきであって,その氏名・肖像・統計その他を含む,有名人であるということの存在そのもの(identity)は,その労働の果実であ〔る。〕」として,野球ゲームに上記各情報を使用していた被告企業に対して原告たるメジャー・リーグ選手協会がなした差止請求を認容した。またこれと類似のケースであるが,Arnold Palmer, et al. v. Schonhorn Enterprises, Inc., 232 A.2d 458 [1967] は,プロ・ゴルファーの氏名や経歴について「メディアにおいてこれら〔各情報〕が公にされていることは,これらの情報に対するプロ・ゴルファーの財産的利益を失わしめるものではなく,Palmerらの氏名が国内外において著名であるのは,疑いなくその才能と厳しい鍛錬の成果であって,人はその労働の成果に対する不当な介入を禁止する権利を有するのであり,そうでなければ公平に反する。」と述べ,やはり原告らに無断で被告企業がゲームにプロ・ゴルファーのプロファイル・シート(氏名・経歴が記載されている)を使用することを禁止したのである。これら二つの判例,特に前者の「〔有名人の〕氏名・肖像・統計その他〔の…〕identity は…」というくだりは,氏名・肖像のみならずスポーツ選手の履歴・業績もまたその個人識別情報としてパブリシティ権の客体となることを示しているように思われる。

翻ってキング・クリムゾン事件一審判決は,「著名人が獲得した名声,社会的評価,知名度等から生ずる経済的な価値で,顧客吸引力があると認められる場合〔もパブリシティ権の内容に含まれる〕」と判示し,同事件で問題となったジャケット写真がパブリシティ権の客体たりえることを説明している。しかし,これもジャケット写真の利用が全面的にパブリシティ権の問題になる(ジャケット写真が必ずパブリシティ権の客体となる)とはいっておらず,限定的にその可能性を認めているに過ぎない(要するに,ジャケット写真の利用がパブリシティ権を侵害する可能性も侵害しない可能性もあるのであって,それは利用態様によるというのである。この点に関する問題については次編で検討する。)。

他方同事件控訴審判決は,ジャケット写真が個人識別情報であるかどうか,そして(結果的には否定したが)それがパブリシティ権の客体となりうる情報であるかどうかについて,直接的には触れてはいないが,「ジャケット写真は…当該レコード等を視覚的に表示ないし想起させるものとして〔機能し,その〕機能は当該音楽家本人の肖像写真がジャケット写真に使用された場合ですら否定することは困難であるから,ジャケット写真が音楽家自身を連想させるという効果は,それが当該レコード等を視覚的に表示ないし想起させる効果と対比して相当減弱されたものであるといわなければならない。」と述べている。これは,ジャケット写真(特に音楽家自身の肖像が用いられたもの)は音楽家を連想させる個人識別情報ないし音楽家に関連する情報であると認めたうえで,それがジャケットとしての(レコード等を想起させるという)機能を備えることによって音楽家自身との関連性が弱められ,あるいはこれが遮断されるということを説明しているように見受けられるのである(16)

4 パブリシティ権の客体となる情報(いちおうのまとめ)

以上の裁判例,特にわが国におけるキング・クリムゾン事件両判決を俯瞰したうえで筆者なりにまとめるとすれば,パブリシティ権の客体となりうる情報とは,人(自然人)の属性に関するもので,(1)その主体と他者とを識別でき,かつ,(2)その主体と相当な関連性を有するものでなければならない,ということになろう。そしてこれらの要件を満たす情報が顧客吸引力を獲得したときにそれはパブリシティ権の客体となるのである。以下,括弧数字(注:原文では丸数字)を付した二つの各要素と両者の関係について,もう少し詳細に説明していく。

(1) 自他識別性

まず(1)に関してだが,「当該情報が具体的にその主体と他者とを識別する機能を有していなくてはならない」ということであり,個人識別情報にあらざる情報はパブリシティ権の客体たりえないということである。具体的にいえば,例えば「田中」のようにわが国に多く見受けられる氏の場合,その氏だけでは一般的に識別性がないことになる。しかし,「田中大臣」という場合のように他の情報と組み合わせて表現されることで識別性を有するに至ることもあり,当該情報が識別性を有しているかどうかは個別具体的に判断されることになろう(17)

この点は,履歴・業績といった情報についても同様であると思われる。ゆえにスポーツ選手の顕著な成績,例えば野球選手であれば「XXXX年シーズン盗塁王」とか,ゴルフ選手であれば「XXXX年全米オープン優勝」といったデータは,それだけで識別性を有しているといえるだろうし,それ以外のさほど顕著ではない個別の成績についても,他に公表されたデータ(例えば選手年鑑において掲載されているもの)と照合することで識別性を有する可能性がある。他方,例えばある小説家の作品の名称と他の小説家の作品の名称とが同一であるような場合は,当該作品の名称という情報に関する限りにおいては両小説家との間で識別性がないということになろう。もっともそのような同一作品名であっても,例えば発表年や出版社・発行所の名称といった他の情報(もちろん,著者名もこれに含まれる。)と組み合わせて表現されることによって,やはりそれぞれ識別性を有しうることになる。

(2) 相当な関連性

次に(2)についてであるが,「その主体と無関係な情報はパブリシティ権の客体たりえず(この点は当然といえば当然であるが),その主体と情報とが関連性を有し,なおかつそれが相当程度でなくてはならない」,すなわち「一般人が当該情報によってその主体を直接的に想起・連想しうる程度でなくてはならない」ということである。

パブリシティ権の客体の代表例である「氏名・肖像」はほぼ例外なく一般人をしてその主体を直接的に想起せしむるといいうるであろうが,例えばキング・クリムゾン事件における「音楽・影像作品のジャケット」や一般的な「書籍の装丁」等については特にこの相当関連性が問題となる。この点を案ずるに,その主体の肖像を利用したジャケットや装丁は元来直接的な関連性を有する情報だが,ジャケット・装丁がその性格上有する「作品自体を想起させる」という機能によって主体との相当な関連性が遮断され(あるいは弱められ),その情報が主体から離れていわば一人歩きをするのだと捉えることができるのではなかろうか。また,主体の肖像が用いられていないジャケット・装丁については,もともと主体との関連性がまったくないか,非常に低い(あるいは,主体を直接想起させるのではなく間接的に連想させるに過ぎない)ものとしてパブリシティ権の客体たりえないと解すべきであろう。

なお,上記ジャケット・装丁に関する相当関連性の見解は一般的・標準的な例として述べたまでであって,実際には,「履歴を文字表現したものだから相当関連性がある」などというように類型化して一概に決するのは相当ではなく,前掲の自他識別性と同様やはり個別具体的に判断されるべきであろう。

(3) 自他識別性と相当関連性の関係

そして上記(1)自他識別性と(2)相当関連性との関係は,冒頭の説明において両者を「かつ」で接続したことでもわかるように,どちらも充足する必要がある。したがって,前述のように個人識別情報にあらざる情報はそもそもパブリシティ権の客体たりえず,また個人識別情報であっても主体との相当関連性がない情報はやはりパブリシティ権の客体とならない,と捉えることができるのではなかろうか。もっとも,自他識別性を有する個人の情報は当該個人と相当な関連性を有しているのが通常であると考えることができるから,原則として(1)を満たす情報は(2)をも満たすと推認してよいであろう。したがって(2)の有無が問題となるのは,自他識別性を有する情報で本来相当関連性を有するものがその関連性を失う可能性を有している場合,具体的にいえば,前掲のごとき主体の肖像を用いたジャケット・装丁などのような,他の識別機能を有するがために主体との関連性が失われる場合に限られると見ていいだろう。


(1) 個人情報保護法案は第151通常国会(平成13年1月~6月)に提出されたが継続審議とされ,平成13年8月の第152臨時国会を経て,同年10月からの第153臨時国会においても継続審議となる模様である。なお同法案に対しては,とりわけメディアを中心とした各方面から,取材・報道の活動を不当に規制し言論・表現の自由を侵害するものであるとの批判がなされており,現行法案を廃案としたうえで再検討を求める声もある。同法案の問題点を(特に情報公開制度と関連づけて)指摘したものとして桂敬一「日本の個人情報保護法制化の動きに関する一考察」東京情報大学研究論集9号119頁を参照。

(2) 同法案は,衆議院のウェブページ(http://www.shugiin.go.jp/)などにおいて参照することができる。

(3) もっとも個人情報保護法(案)が私人間において問題とならないという意味ではない(同法案20条以下参照)。同法案の規定には確かに個人情報取扱事業者が個人情報の主体(本人)に対して直接負う義務を規定していると解釈できる余地があるものも存在するが(例えば30条など),これとて具体的にどのような民事責任を追及しうるのかについての規定ではなく,むしろ個人情報取扱事業者に対する公的な規制としての性格を有するものと見ることができよう。

(4) それでもプライバシー権については,人格権を基礎としていることからもいくぶん法理が確立している点(例えば権利主体や権利の存続期間―死者のプライバシー―について等)も見受けられるが,なお争いはある。

(5) ニューヨーク,カリフォルニアなどアメリカの一部の州は,パブリシティ権に関する制定法上の規定を有している。

(6) 例えばパブリシティ権の存続期間についての学説は,主体の死後は権利が消滅するという立場(大家重夫「故エルビス・プレスリーの肖像権」コピライト236号8頁)もあれば,著作隣接権のそれを類推して主体の死後50年存続するという立場(阿部浩二「パブリシティの権利と不当利得」『新版注釈民法(18)』有斐閣・1991年・588頁)や,客体となるべき情報が使用される限り認めるべきとするもの(牛木理一『キャラクター戦略と商品化権』発明協会・2000年・422頁)もある。またこの点に関する裁判例はいまだ存在しない。

(7) このキング・クリムゾン事件の背景についてであるが,実はYらは,キング・クリムゾンのディスク(CD)およびヴィデオのわが国における発売元(レコード会社)から,本件書籍においてジャケット写真を掲載することについて事前に許諾を得ていたとのことである(2000年8月4日に筆者が著作権法学会判例研究会において同事件の研究報告をした際に,(株)セプティマ・レイの安藤和宏氏よりその旨を指摘する発言をいただいた。)。一般にCDやヴィデオのジャケットの制作にかかる費用は,レコード製作会社が当該CD等について負担する「制作費」から出捐されるのが通常で,それゆえジャケットに関する著作権は当該レコード製作会社に帰属する場合が多い。

(8) パブリシティ権の意義・内容について,従来はどちらかといえば「譲渡性(相続性)」などの各論が先行して議論がなされる機会が多かったものと思われる。これに対しては,逆に権利としての性質・構造といった総論的・本質的な側面から再検討される必要があるだろうが,紙幅の関係もあり,この点については改めて機会を設けたうえで論じたい。

(9) 例えば,阿部浩二「パブリシティの権利と不当利得」注釈民法(18)554頁は“有名人の氏名・肖像・写真等”といい,前述したマーク・レスター事件,おニャン子クラブ事件控訴審などの裁判例も“(俳優等の)氏名及び肖像”とか“(芸能人の)氏名・肖像”という。最近の文献では,内藤篤・田代貞之『パブリシティ権概説』木鐸社・1999年・157頁以下がパブリシティ権の客体について比較的詳細な説明をして,“顔(肖像)・氏名・身体の一部・履歴その他の個人情報・声・スタイル・モノ”などを掲げる(ちなみに,内藤弁護士は前掲キング・クリムゾン事件原告の訴訟代理人でもある。)。なお,前掲したマーク・レスター事件の認定事実中,原告マーク・レスターと原告協同企画との間に9締結された専属出演契約の条項において,“氏名,肖像,肉声,署名,経歴等”が掲げられている。

(10) この2つの分類は,内藤・田代前掲(9) 25頁以下,同55頁以下による。

(11) わが国では内藤・田代前掲(9) 116頁が明確に人的属性アプローチを採用する。またパブリシティ権と人格権との一元論を唱える渡邉修「人格要素の財産的利用 ―ドイツにおける氏名・肖像の保護を中心として―」著作権研究21号1頁および同「人格権から見たパブリシティ権 ―パブリシティ権の理論構成の検討―」シンポジウム『パブリシティの権利』著作権研究26号33頁も人的属性アプローチを採るものといいうるだろう。アメリカでは,Prosser, Privacy, 48 Cal.L.Rev. 383, at 406 (1960)McCarthy, The Right of Publicity and Privacy (1987), §1.5 [D] が,また前掲 Haelan 事件判決がやはり人的属性アプローチに近い見解を示していると見受けられる。

(12) 万物属性アプローチを採用するものとして,牛木前掲(6) 496頁以下,伊藤真「物のパブリシティ権」田倉整古希『知的財産をめぐる諸問題』発明協会・1996年・507頁以下などがあり,アメリカでは,M. Nimmer, The Right of Publicity, 19 Law & Contemp. Probs. 203 (1954) がその代表例である。

(13) 競走馬の名称につきパブリシティ権が認められた例として,名古屋地判平12・1・19最高裁ウェブページ〔平成10年(ワ)第527号〕(ギャロップ・レーサー事件判決)がある。同判決が「物のパブリシティ」という文言を用いてこれを正面から認めている点は注目に値しよう。「物のパブリシティ権」は,これが認められるとすれば,商標権の対象ともならず(そもそも当該標章が商標としての要件を満たさない場合や,要件を満たしていても商標登録を経由しない場合を想定せよ。),著作物性(著2条1項1号)も有さず,また不正競争防止法2条1項1号にいう商品等表示の要件を満たし得ないが,顧客吸引力を獲得した名称等の保護に関して重要な意義を有することとなろう。その意味においては,同事件で問題となった競走馬の名称は,上記のような既存の知的所有権法によっては保護されない可能性があった典型ともいえる。

(14) 同様の指摘は,やはり競走馬の名称に関する東京地判平13・8・27最高裁ウェブページ〔平成10年(ワ)第23824号〕(ダービー・スタリオン事件判決)でもなされているところである。同事件は前掲(13)のギャロップ・レーサー事件とほぼ同様の事案であるが,こちらは「物のパブリシティ」を否定して原告である馬主らの請求を棄却している点で非常に興味深い。なお,内藤・田代前掲(9) 135頁をも参照。

(15) もっとも,情報公開法制においては,個人識別情報を形式的に不開示情報とすることによって不開示の範囲が広くなりすぎるとの批判があり,実際の裁判例(仙台地判平8・7・29判時1575号31頁,東京高判平10・3・25判時1688号44頁など)では,個人識別型の規定でも実質的なプライバシー保護の必要性を加味して解釈せざるを得なくなっている(「コンメンタール情報公開法」法律時報71巻8号15頁[森田明])。

(16) キング・クリムゾン事件においては主として「ジャケット写真」が問題となったが,もう少し広く捉えて文芸作家による文学作品の題名や研究者の著書・論文名,そしてそれらの装丁についても,おおむねこの理論を当てはめることができるだろう。

(17) もっとも,自他識別性のない情報はそもそも顧客吸引力を獲得し得ず,識別性の有無はパブリシティ権侵害の成否を左右しないのではないか,との指摘も予想されるところである。だが,例えば特定の著名人に似ているようで似ていないイラストレーション(似顔絵)や「あの有名俳優も使っている!」というフレーズが広告等に用いられているようなケースを思い浮かべてもらいたい。当該著名人からのパブリシティ権侵害の主張を回避しようという一方で,あわよくばその顧客吸引力を利用しようとするためにしばしば用いられる手法であろう。筆者は,このような例がパブリシティ権侵害を構成するか否かを個別に判断する際に,この自他識別性の有無がメルクマールになるのではないかと考えるものである。

(「東京情報大学研究論集」 5巻 2号 ―2002年 2月― 掲載)





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