大阪工業大学・知的財産学部 講師 関堂幸輔
概要(Abstract)
今日の高度情報化社会では,著作物としての情報が「コンテンツ」として認識され,またその共有化を図ろうという動きもある。本稿では,そうした状況でしばしば用いられるクリエイティブ・コモンズ・ライセンスを,契約法の観点から,その意義,性質,効力等につき考察し,検討せんとするものである。
In today's Information Society, information as copyrighted works are recognizing as “contents”, and it is occuring the movement to share in common them. In this article, I try to consider and study, in terms of contract law, the significance, the quality, the force, etc. of the Creative Commons License that is often used in this movement.
情報およびその通信においてデジタル化,ネットワーク化が今なお急速に進む今日の社会にあって,従来主に著作物として捉えられてきた情報が「コンテンツ」として認識されるようになり,またその利用に係る契約も変貌を遂げつつある。具体的には,情報や知識を人類共通の財産と位置付け,その共有化を積極的に図るべく,従来とは異なる利用許諾契約を用いることでその実現を試みようとするものであり,主にコンピューター・プログラムないしソフトウェアに用いられる一連の GNU ライセンス 1),文書・音楽等のコンテンツに用いられるクリエイティブ・コモンズ・ライセンス(Creative Commons License,以下「CCL」という)などがその例として挙げられる。
本稿は,このうちの CCL を取り上げ,その概要を俯瞰した後,とりわけ契約法(民法)の観点から根本的に,その意義,法的性質等について検討を試みる。すなわち,CCL の本質的な債権・債務の内容,CCL の約款としての性質,CCL の効力が及ぶ範囲,および権利の承継と CCL の各問題点につき考察をなすことで,この新しいタイプの契約の本質を探ろうとするものである。
コンテンツ(contents)は,content の複数形で,本来は「内容」「中身」という意味の言葉である。
従来も書籍等において「目次」等の意味で“contents”ないしは“table of contents”という語が用いられてきたが,1990年代に入ってまもなく,高度情報化に伴い,文字・画像・音声・プログラム等が混在した媒体,いわゆるマルチメディアのブーム到来により,そうした「情報媒体の内容」,すなわち「情報そのもの」に対して積極的に用いられるようになった言葉である。マルチメディアにあっては,各種の情報はデジタル方式によって記録されるのが通常であり,この点を強調する意味で「デジタル・コンテンツ(digital contents)」ともいわれる。
さらに1990年代半ば以降,とりわけ情報ハイウェイ政策を推し進めたアメリカを中心にインターネットが爆発的に普及してからは,有体物としての媒体で供給されるものに止まらず,インターネットを経由してウェブ等によって提供されるものをも含めた「情報サービスの内容」(「情報そのもの」という意味では前述と同義であるが)を広く指すものとして,「コンテンツ」という言葉が用いられるようになった。
コンピューターやネットワーク,これらに係る半導体技術や情報通信技術等,またこれらに係る規格(プロトコル)や方式(フォーマット)等と密接に関連し,コンテンツが情報技術に関する何らかのフォーマットやハードウェア等の普及・発展に寄与することも少なくなく,こうしたコンテンツを「非常に強力である」という意味から「キラー・コンテンツ(killer contents)」ということもある。そして,このようなコンテンツたる情報を保有し,そのコンテンツに係る著作権等の権利を有する者を「コンテンツ・ホルダー(contents holder)」ということがある。また,ポータル・サイトや検索サービス等の提供,ニュースや音楽等の配信のようにコンテンツを提供する者を,インターネット接続サービスを提供するインターネット・サービス・プロバイダ(Internet Service Provider : ISP)と対比して,「コンテンツ・プロバイダ」または「コンテンツ・サービス・プロバイダ(Contents Service Provider : CSP)」という。
昨今「コンテンツ」が意識されるようになってきた最大の理由は,要するに,コンテンツたる「情報」がデジタル化され,さまざまな「内容」がデジタル方式で制作され,記録され,流通するようになったことにある。もっとも,情報のデジタル化自体は最近に始まったことではない(身近な例でいえば,音楽 CD は1980年台初めに登場した)。情報のデジタル化が始まった当初は,その特徴はせいぜい「複製しても劣化しない」程度でしか認識されていなかったかもしれない。しかしながら,情報技術の飛躍的発展,具体的には個人用コンピューターの性能向上と高度情報通信ネットワーク(ブロードバンド)の普及によって,さらに新たな局面を迎えたと言えよう。
今般デジタル情報の特徴として挙げられるのは,再利用性の高さである。デジタル化された情報(=コンテンツ)は,今やメディア(媒体)から“解放”されるに至った。メディアから“解放”されたコンテンツは,あるいは別のメディアに再記録することもできるし,あるいはメディアなくして通信回線により他に伝達することもできるようになり,従来にない再利用性を得たのである。
音楽(音声)によるコンテンツを例に取ってみよう。従来アナログの時代には,音楽コンテンツを享受するためには,レコードというメディアに記録された「物」として入手し,それをレコード・プレーヤー,アンプ等の決まったハードウェアを介して再生する必要があった。また,これらを手軽に楽しむべく内容を他のメディア,具体的にはカセット・テープに写す(移す)には,先述の決まったハードウェアから電気信号を送り,それをやはり特定のハードウェア(カセット・レコーダー等)で受けて記録するしかなかった。つまり,コンテンツはあくまでも,レコードやカセットといったメディアに“支配”されていたのであり,「内容」そのものが別個に認識される余地はほとんどなかった。
しかしデジタル時代になり,これが一変する。まずは音楽 CD というメディア(物)として得たコンテンツ(内容)であっても,そのメディアに記録されていたデジタル・データをそのまま,例えばコンピューターのハードディスクにコピーすることができる。そしてそのようにして複製したデータ(当然ながら劣化していない)は,別の記録用 CD(CD-R)にコピーすることもできるし,あるいはデータを(例えば MP3 等に)圧縮して,容量の小さい他のメディアや,デジタル・プレーヤーに記録することで手軽に持ち出して楽しむことも可能になる。また 当該データを,コンピューター・ネットワークを通じて他に伝達することも可能である 2)。さらに言えば今や,消費者の手に渡る段階ですでに,メディア(CD)ではなくコンテンツのデータを「配信」することによって供給されることさえある。
(図) メディアから解放されるコンテンツ
また,コンテンツは,情報技術に関する規格に準拠して提供される限りにおいて,さまざまなコンピューターやプログラムによってこれが適切に処理され,メディアやフォーマットを超えた利用さえも可能になる。
例えば,ウェブページのコンテンツが適切な HTML(HyperText Markup Language)ないし XHTML(Extensible HyperText Markup Language)によって記述され,提供されていれば,一般的なブラウザ(閲覧ソフト)はもちろんのこと,文字情報のみを表示しうるテキスト・ブラウザや音声によって読み上げられる音声ブラウザなどによっても,当該コンテンツを享受できるのである。
さらに,こうしたウェブページや音声・映像等のインターネット上のコンテンツに関する要約情報が XML(Extensible Markup Language)によって提供されることで ――これを RSS(RDF Site Summary または Really Simple Sindication)という――,コンテンツの受け手は自動的に当該サイトの更新状況を把握したりすることも可能になる(近時ウェブでの情報提供に際して広く用いられるようになった「ブログ」はこの RSS 提供をも容易になしえる仕組みになっている)。
また,マルチメディアにあっては,従来であれば異質な手段・方法で別々に提供されるのを当然としていた知的創作物(例えば,文字情報であれば主に紙を媒体とし,音声や影像であればこれを記録した磁気テープや磁気ディスク,光学ディスク等を媒体とするように)が,すべてデジタル・データ化されることで同時に提供できるようになる(ウェブページにおいて,HTML により画像や音声等のオブジェクトが埋め込まれるようにできるのはその典型だろう)。
そして,デジタル・データにあっては,そこに含まれる内容はすべて平等に扱われる。私たち人間は,表示される文字やその装飾等を目視することなり,発せられる音声を聞くなりすることで,情報(の内容)の軽重を判断する。しかしデジタル方式にあっては,情報はことごとく 0 と 1(off/on)でやりとりされ,情報の内容それ自体の軽重はいわば無視される。逆にこのこと,すなわち情報がすべて等価・平等となることが,複製・伝達を容易にすると同時に,全文検索を可能ならしめ 3),コンテンツの再利用可能性を高めているとも言えよう。
こうした情報のデジタル化,およびそれと並行する情報技術の飛躍的な発達を背景として,人々はより容易に情報を見つけ,情報を得,そして情報を発することができるようになった。とりわけこれまで一部の専門的立場にある者に限られていた情報発信が万人のものとなった点は大きい。すなわち,今や高価な機材や販売網などがなくても,個人用のコンピューターとインターネット環境さえあれば,世界中に自分の表現した文章や写真,音楽などを発信し,流通させることが可能になったのである。
このような情報発信・流通の発達により,人々は情報を自由に発し,自由に伝え,自由に受ける,そしてそれを皆で共有するということへの強い欲求を抱くようになった。
これはある意味自然なことだ。けだし,無体物たる情報とか知識・智慧といったものは,しばしばロウソクの炎に喩えられるように,元来特定人の独占に帰すべき性質を有していないからである。すなわち,ある者のロウソクから他者のロウソクへと炎を与えても元のロウソクの炎は消えることなく,やがて炎はすべての人のロウソクに行き渡る――人類共通の財産となる。しかし私たちの社会は,一定の有用な情報・知識に価値を認め,これを保護すべく,そこから得られる利益を確実なものとさせるために,そのような情報・知識を特定の者の独占に服させるものとした――これが知的財産である。
私たちが社会生活を送る上で経済的利益を確保する必要がなくならない限り,この知的財産という制度を捨てることは難しい。しかし他方ではまた,前述したように,情報・知識本来の「共有可能」という性質が意識され,共有化への欲求が高まっていることも事実であり,これに対しては知的財産制度がむしろ障壁とさえ認識されるようになる。
クリエイティブ・コモンズ(Creative Commons)4) は,アメリカの憲法学者でスタンフォード大学ロースクール教授であるローレンス・レッシグ(Lawrence Lessig)の提唱によるものである。レッシグは,その著書 5) において“コモンズ=共有(地)”という概念を取り入れ,情報や知識の積極的な共有を呼びかけた。
すなわち「クリエイティブ・コモンズ」とはまさに「創造的共有」であり,作家,科学者,アーティスト,教育者等が,その完全な著作権を主張する(all rights reserved)のではなく,かといって放棄をする(public domain)のでもなく,緩やかに権利を主張する(some rights reserved)ことによって,それぞれに互いの創作の成果を共有しうる ――他人の創作成果に容易にアクセスでき,これを自由に複製または改変しうる状態―― 仕組みを供することで,さらなる創作を刺激し,社会全体のより豊かな情報流通と文化および技術の発展を促す,というものである 6)。
しかしレッシグは,上記の理念を貫こうといたずらに知的財産権ないし著作権の制度自体の破壊を試みたわけではない。現行の知的財産制度の下で,できるだけ情報の共有化を図るべく提案された方法,それはライセンス(利用許諾契約)を用いることであった。
CCL にあっては,文書,音楽,映像等のさまざまなコンテンツを目的として,著作者はその著作権を保持・主張しつつも,契約の定める利用許諾条件により利用者が著作物を自由に複製・頒布等を行える権限を与えるもので,権利の完全な主張と放棄との間の「緩やかな主張」がなされることとなる。
CCL のさらなる特徴としては,CCL を用いようとする著作者が容易に契約条項を設定できるようにしたことである。法務や知的財産に関して大きなリソースを有する大企業であれば別段,個人の著作者,なかんずくアマチュア・クリエイターにとっては,長文の契約条項を読んで理解したり,まして自ら作成することは困難極まりない。そこで CCL では,ウェブページで最低二つの質問に答えさえすれば契約条項ができることとした 7)。
さらに,CCL では設定できる条件(要素)を四つに限定したことが,その選択の容易さを助けていると言えよう。その四要素とは,①「表示」(BY,Attribution,原著作者のクレジットを表示すること),②「非営利」(NC,Noncommercial,営利目的での利用禁止),③「改変禁止」(ND,No Derivative Works,改変・変形等の禁止),および④「継承」(SA,Share Alike,二次的作品への契約条件の継承)である。現行の CCL のバージョン(日本では 2.1,アメリカでは 3.0)では,このうち①の「表示」は必須とされており,この条件を外すという選択はできない 8)。したがって著作者はまず②と③について選択をし,このうち③において改変を禁止しなかった場合に④を選択しうることとなる。
この四つのみの要素は,著作物を利用しようとする者にとっても有益であろう。けだし,利用に際して留意しなければならない事項が少なくて済む。また,これらの要素を視覚的にわかりやすいアイコンで示したり,そのアイコンを用いたバナーをウェブページ等に表示して詳細なライセンス内容の文書にリンクできるようにしている点も(図参照),著作者・利用者双方にとってわかりやすく,親しみを感じさせるものとなっているようである。さらには,下記のような XML の記述をウェブページの XHTML に挿入することで,コンピューター・プログラムがこれを解析して必要な処理(例えばコモンズ証の参照等)を行えるようにしている点も興味深い。
(例) ウェブ文書(XHTML)内の XML の記述
<rdf:RDF xmlns="http://web.resource.org/cc/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"> <Work rdf:about="http://m4.sekidou.com/"> <dc:title>M4 (メディア批評日記)</dc:title> <dc:description>メディア・リテラシーを修練するための日記</dc:description> <license rdf:resource="http://creativecommons.org/licenses/by-nd/2.1/jp/" /> </Work> <License rdf:about="http://creativecommons.org/licenses/by-nd/2.1/jp/"> </License> </rdf:RDF>
(図) 四つの契約条件のアイコンとバナー
CCL の客体ないし対象となりうるのは,あらゆる創作物(作品)である 9)。ジャンルや存在形式を問わず,またデジタル方式で記録・流通されるものに限られない。書籍(アナログ)として流通する小説に CCL を付すことも,インターネットを通じて提供されるデジタル方式の動画に CCL を付すことも可能である。もっとも,クリエイティブ・コモンズ自体が「本来著作権のある作品について緩やかに権利主張する」ものであることから,そもそも著作権がない(=著作物性がない)創作物についてはこれを対象とし得ないと解すべきであろう 10)。
CCL は,作品(著作物)の著作権を原始的に取得する著作者が,その作品を公衆に提供する際に,利用許諾の条件を定めて意思表示をするものである。本来の利用許諾契約においては,まず利用しようとする者(利用者)が対象たる著作物の利用について申込みをし,それに対して著作(権)者(支分権の場合を含む)が承諾をすることによって契約が成立すると考えられる。他方 CCL にあっては,作品の公衆への提供に際して CCL であることおよびその条件がまず提示され,利用者が改めて著作者の承諾を得ることなく,その条件に応じた利用をするということになる。しかしこれは厳密には,著作者による最初の提示を契約の「申込みの誘引」として,利用者による黙示の「申込み」を著作者が自動的に「承諾」することで利用がなされると解すべきだろう。
CCL であることおよびその条件の提示は,前述のように,アイコン,バナー等の表示,契約条件を簡潔に記した「コモンズ証」へのリンクや XML 文書の記述などによって行われる。この提示がない限り,利用者は当該作品が CCL によって提供されていることを知ることができないのであるから,利用者において CCL での利用を申し込むことは不可能で,ゆえに CCL も成立し得ないと見るべきである。したがって,CCL は要式契約であると考えられる。なお,利用者が CCL に基づかない利用(例えば営利目的利用を禁じる CCL が提示されているが営利目的で利用したい場合など)を求めて申込みをして著作者がそれを承諾した場合には,当然ながら,CCL とは別個の利用許諾契約が成立する。
ところで,CCL が著作物の利用許諾に係る契約であることは論を俟たないが,それによって生じる債権・債務はいかなるものであろうか。まずは同じく著作物利用許諾の一態様である出版についての契約を見て,考察してみよう。
出版とは,著作物を文書または図画として有形的に複製し,その複製物を頒布するという利用方法・態様であり,そもそも知的財産権の保護の端緒が中世ヨーロッパにおける出版の保護であったことと相俟って,著作物の利用態様でも最も古くかつ重要なものとして位置付けられている。
出版契約は,これによって当事者の一方たる複製権者がその著作物を利用させる義務を負い,相手方たる出版者が当該著作物の複製・頒布をなす義務を負うものであり,また互いに相手方の義務に対する権利を取得するものである 11)。ここで本質となる互いの義務(債務)は,「著作物を利用させること」と「著作物の複製・頒布(=目的に応じた利用)をすること」であり,対価の支払いや内容の保証(例えば著作者の執筆に係る文章が他人の著作権を侵害していないことを当該著作者において保証すること)などは付随的義務に過ぎない 12)。
この出版契約における理論を,広く著作物利用許諾契約に当てはめることができよう。つまり,著作物利用許諾契約にあっては,当事者の一方たる著作権者が相手方にその著作物を利用させる義務を負い,他方たる利用者は当該契約の趣旨に従った利用をする義務を負う,というのがその本質的内容であり,対価の支払い等は付随的義務として位置付けられる。したがって CCL についても同じく,許諾者たる著作者はその著作物を利用させる義務を負い,被許諾者たる利用者は目的に応じた利用をする義務を負うものと解することができる。
ところで CCL では,もともと著作者(著作権者)から利用許諾の旨が広く万人に示されており,利用者は特に著作者に通知等するまでもなく著作物を利用できるとされている点をもって,利用者に改めて義務が生じるものではないとする見方もあるかもしれない。しかし,やはりここでは利用許諾契約(ライセンス)が発生していると見るべきだろう。すなわち,利用者は CCL に従い,著作者の提供に係る著作物を「複製」「頒布」「展示」「実演」または「二次的著作物の作成(改変)」(ただし最後の要素は CCL にて「改変禁止」が選択されなかった場合のみ)する義務を負うと解すべきであり,その債務の本旨に従った履行がなされない場合は債務不履行責任を負うものである。
目的たる著作物は広く公表・提供され,「自由に」複製等できるとされているのであるから,つまるところ複製等の利用を「しない」のもまた利用(しようとする)者の「自由」であり,ゆえに 「利用しない」ことに対して債務不履行が生じる余地はあまりないと考えられるが 13),付随的義務としての CCL の条件(「表示」等)を守らずに利用した場合には債務不履行となると解すべきである。
CCL は簡便な方法で契約条件を定めることができるが,これは約款としての性質を有するのか,また約款であるとしたら,その効力はどうか,という問題が考えられる 14)。
CCL は,著作物の利用を許諾しようとする者が,一定の契約条件を提示することで申込みの誘引をし,他方当該著作物を利用しようとする者がその条件に従う利用をなすことで申込みがなされ,それが許諾者により自動的に承諾されるものだと解することができよう。そしてここで提示される契約条件は,この契約を締結しようとする多数の者に広く示され,特に別段の意思表示がない限りは自動的にこれが適用されることから,いわば普通契約約款(普通取引約款)であると考えられる。この場合において,約款に拘束力があるのか,あるとすればその法律構成はどうなるかが問題となる。
約款について,判例は古く,「当事者双方カ特ニ普通保険約款ニ依ラサル旨ノ意思ヲ表示セスシテ契約シタルトキハ反証ナキ限リ其約款ニ依ルノ意思ヲ以テ契約シタルモノト推定ス」(大判大4・12・2 民録21輯2182頁)とし,それ以来一貫して意思の推定の理論を取っている。
学説は,約款の事前の開示を条件として,それに対する相手方の包括的承認により特殊な契約が成立したと見る「合意の擬制」だとするものや,商慣習に根拠を求めるものなど比較的幅広く展開されているが,約款の効力自体についてはおおむね肯定的である。
もっともこうした判例・学説にあっても,とりわけ1990年代初め(平成2~3年)に集中してなされたダイヤル Q2 訴訟(例えば,最判平13・3・27 民集55巻2号434頁など)において,約款に基づく通話料(情報提供料含む)請求の可否が問題となり,これに対する見解が分かれたこともある。すなわち,同じ通話料請求を認めない立場でも,①ダイヤル Q2 については約款の条項そのものの適用を否定する見解,②ダイヤル Q2 の通話料支払義務に関しては信義則上約款を適用できないとする見解,および③約款の適用は一応認めながらも信義則上ダイヤル Q2 通話料は請求できないとする見解などがあった。
もとより CCL にあっては加入電話契約と異なり,契約条項を根拠に対価の支払義務が生じるわけではない(CCL 外の特約として対価支払義務を課す利用許諾契約はありうるが)。しかし,契約条項を根拠とした権利(債権)行使ができるか否か,すなわち,契約条項に掲げられた条件に違反したことを理由とする損害賠償請求や差止請求(この場合は契約解除の効果としてという構成になろう)をすることができるかどうか,という点では参考になると思われる。ゆえに例えば,CCL の条件に付随して定められた損害賠償の予定額が著しく高額であるような場合は,当該条件を定めた条項の適用は認めつつも全部の請求はできないとする,などという判断も考えられる。
ある著作者と利用者との関係で CCL が有効に成立している場合において,当該 CCL がどの範囲にまで効力を及ぼすのか,という点もまた問題である。本来,契約によって発生する債権・債務は,当該契約の当事者についてのみ効力が及ぶものである。他方 CCL においては,著作物の改変を認めた場合に,当該二次的著作物についても CCL により公開すること,および「表示」「非営利」といった他の契約条件を「承継」させる特約が存在するが,その効力はどうだろうか。例をあげるとすれば,AB間の契約が,BC間にもその効力を及ぼすのかどうか,ということである。
しかしこれは,やはり契約法の一般原則に従い,あくまでAB間の契約はこれらの者についてのみ効力を生じ,他の者へ及ばないと解するのが相当であろう。Aが CC により公開した原著作物をBが改変してやはり CC で公開し,これをCが利用しようとする場合は,AB間の CCL とBC間の CCL は独立別個のものである。ただ前者の債務に従い,後者に前者の契約条件が引き継がれたに過ぎない。
ただそうであるとすれば,これは当該利用者がさらなる許諾をする際に当該条件を(いわば)強いるものであり,これが契約自由の原則との関係でさらに問題になるとも考えられる。
しかし上記の例で言えば,Bは,Aによる原著作物が CC によって提供されていることを知りつつこれを利用したものであり,当該原著作物の恩恵を受ければこそBの創作もなしえたものである。また,「表示」「非営利」等の条件を承継させることが,二次的著作物の著作者にとって著しい負担になり,その者の契約の自由を害するとも思えない。もし,原著作物の著作者が示す条件を承継したくないというのであれば,当該原著作物を利用しないこととするか,あるいは原著作物の著作者と個別に交渉・契約をして CCL ないし「承継」条件を除外することも不可能とは言えない(この点においても自由だからである)。
同じく「承継」という点では,契約条件ではなく権利そのものの承継が問題となるケースも考えられる。著作権は原則として,その目的たる著作物を創作した著作者の死後50年存続するものであり,その著作者が死亡した場合著作権は相続される。また,財産権としての著作権はその主体が自由に譲渡しうるものである(著61条1項)。この点に関して,当初の著作権者たる著作者が自らの意思で CCL を選択採用した場合に,その著作権を承継した新著作権者が CCL を変更できるかという問題も生じうる。
権利の主体となった者がその客体に係る許諾条件(CCL)を変更できないとすることは,新著作権者の意思を不当に制限することになるとの危惧もあるかもしれない。しかし本来 CCL は,当初の著作権者である著作者が自己の利益(とりわけ精神的利益)を享受するためになしたライセンスである。著作者から譲渡を受けた新著作権者については,その譲渡された権利の目的たる著作物が CCL によって提供されていることにつき善意無過失であれば格別(もっとも,前述したように CCL はほとんど公示されているのでその可能性は頗る低い),事情を知って譲受したのであるから,自己の権利になったことを奇貨として CCL を変更することは信義則や条理に反するものと捉えうるのではなかろうか。
この点は,著作者から相続によりその著作権を承継した相続人についても同様である。そもそも自分自身の努力や才能で築いた成果でもないのにそこから濡れ手で粟よろしく利益を得ようとする者を保護する必要性は低く,もしそれを認めるとするならば CC の本質的意義が失われかねないことからも,相続人による CCL の変更を認めるべきではないと解する。
CCL には,これまでの契約とは異なる要素が少なからずあり,そこから生ずる債権・債務,債務不履行責任,当事者の地位の承継,あるいは契約の成否等についても,実際に問題が生ずる可能性がある。現在のところわが国において CCL が正面から問題となった事例はないようであるが,CCL がとりわけインターネット上で積極的に用いられつつある現状に鑑みて,今後は実務の面からも検討されていく必要があるだろう。
他方で CCL は,情報化社会における新しい知的財産制度の在り方の一つを示すものとして,少なからず有用であり,あるいは知的財産制度の将来に向けての大きなうねりになっていくことさえも期待されるものである。今後,さらに注視していく必要があろう。
本稿で検討した事項は些少でしかないが,今後の議論への一助になれば幸甚たることこの上ない。
1) http://www.gnu.org/licenses/licenses.ja.html。
2) これらの行為が法律の規定に抵触するか否かはさておき,技術的に可能だということである。
3) 学術書を想起するとよい。たいていそうした書籍には索引がついているが,それは執筆者や編集者が取捨選択したものに限られる(もちろんそれはそれで有用であるが)。他方デジタル・データとなった文書にあっては,自由なフレーズで全文を検索することが可能である。
4) 日本版サイトは http://www.creativecommons.jp/。
5) Lessig,L.(2002) “The Future of Ideas : The fate of the commons in a connected world” 〔山形浩生:訳(2002) 『コモンズ ―ネット上の所有権強化は技術革新を殺す』 翔泳社〕。なお原書は現在無償でダウンロードできる(http://www.lessig.org/blog/2008/01/the_future_ of_ideas_is_now_fre_1.html)。
6) http://www.creativecommons.jp/learn/ および http://creativecommons.org/about/。とりわけ前者に含まれる「クリエイティブ・コモンズの解説映像」(動画)は,この意義を明解に説明している。。
7) http://creativecommons.org/license/?lang=ja。
8) 「表示」を必須としたのは,採否可能であった従前のバージョンにおいて,ほとんどの著作者が「表示」を選択したからであるという(L・レッシグ,林紘一郎,椙山敬士,若槻絵美,上村圭介,土屋大洋(クリエイティブ・コモンズ・ジャパン:編)(2005) 『クリエイティブ・コモンズ - デジタル時代の知的財産権』 NTT出版,p.41[上村])。これは,「帰属表示さえしてくれれば自由に利用してくれてよい」と考える著作者が少なからぬことを示唆しており,むしろ著作者人格権の氏名表示権(著19条)の積極的行使をこれによって実現しているようにも思える。
9) この点は,同様に情報の共有化を積極的に図る利用許諾契約である GNU License(GNU GPL 等)がコンピューターのプログラムやそのモジュール等を主な対象として,どちらかというと限定的に用いられているのと大きく異なっている。
10) 著作物性のないものに CCL が付された場合は当該契約(ないし契約の申込みの誘引)を無効として解することができるだろうが,その成果物を利用して創作された作品に CCL が「継承」された場合の効力については,なお検討を要しよう。また,著作権以外の権利利益(例えば不正競争防止法上の利益等)が当該作品に存する場合,これらの権利利益が CCL により影響を受けるか否かについても,別途検討する必要がある。
11) 関堂幸輔(1996) 「特殊な契約に関する一考察 ―出版契約の法的性質とその現代的意義について―」 『大東法政論集』 4号,p.62。出版契約の法的性質については,末川博(1925) 「出版契約論」 『民法に於ける特殊問題の研究 第二巻』 弘文堂,pp.384- ,東季彦(1959) 「出版契約の意義及び性質」 『勝本還暦・現代私法の諸問題 下』 有斐閣,pp.605- に詳しい。なお,Hubmann/Rehbinder(1991), “Urheber- und Verlagsrecht”, 7.Aufl., S.210 をも参照。
12) 主にドイツ,フランス等大陸法系の学説においてしばしば説明されるところで,同じ知的財産権でも,特許権その他の産業財産権においては「発明等を実施・使用すること」ではなく「対価の支払い」が本質的義務と説明されることが多く,これと対照的である。このことは,著作者の利益が財産的なそれだけではなく,精神的な利益をも含んでいる(むしろその要素のほうが大きい)ことを意味していると言える。
13) 利用すると意思表示しておきながらその者の責めに帰すべき事由により結果として利用しなかった場合には,この点を義務違反として債務不履行となる可能性がある。
14) 約款としての CCL の契約条項は,インターネット上ではコモンズ証からリンクされた文書で参照することが可能である。例えば筆者はそのブログ(http://m4.sekidou.com/)を CCL(BY-ND)で提供しているが,ブログ内の各文書末尾のバナーからはコモンズ証(http://creativecommons.org/licenses/by-nd/ 2.1/jp/)へのリンクがなされ,当該コモンズ証においては「利用許諾条項はこちらをご覧ください」として詳細な契約条項が記載された約款文書(CCL においては「リーガル・コード」と称している。http://creativecommons.org/licenses/by-nd/2.1/jp/legalcode)へのリンクがなされている。なおリーガル・コードは,著作者が選択した条件および同じく選択した国・地域(準拠法)によって異なる。
大阪工業大学・知的財産研究科 知的財産専門研究 4号(2008年11月刊) 掲載